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歴史:主な出来事
年号 | 出来事 | ||
明治 元年 | (1868) | 9月 | 神奈川県に編入。 |
明治 13年 | (1880 | 12月 | 本浦地区大火で民家65戸を消失。小学浦郷学校、法福寺類焼。 |
明治 16年 | (1883) | 7月 | 雷神社社殿を新築。 |
明治 20年 | (1887) | 6月 | 夏島に伊藤博文の別荘が完成。明治憲法の草案が起草される。 鷹取山の石材切り出し、この頃より始まる。 |
明治 21年 | (1888) | 12月 | 公立浦郷学校、字神応に校舎新築。 |
明治 22年 | (1889) | 4月 | 町村制施行。浦郷村、船越新田、田浦村及び、 長浦村は合併して浦郷村となる。 |
明治 26年 | (1893) | 2月 | 浦郷学校、神奈川県三浦郡浦郷村立尋常小学校と改称。 |
明治 36年 | (1903) | 9月 | 雷神社で三浦相撲が行われる。 |
明治 43年 | (1910) | 12月 | 浦郷村に特設電話開通。明治45年で加入者10名という。 この年、海軍水上機練習所として、追浜海岸一帯が海軍に接収。 |
明治 45年 | (1912) | 6月 | 浦郷小学校、現在地に校舎新築。 |
大正 2年 | (1913) | 4月 | 西南役兵士の墓碑を現在地へ移転。 (官修墓地)この年、本浦地区に初めて電気がつく。 |
大正 3年 | (1914) | 5月 | 浦郷村、町制を施行。田浦町と改称。 |
大正 4年 | (1915) | 11月 | 「梅田隧道の碑」を建立。 |
大正 5年 | (1916) | 4月 | 横須賀海軍航空隊を開設。 |
大正 7年 | (1918) | 6月 | 烏帽子島はこの年最初に切り崩され、跡形もなくなる。 |
大正 12年 | (1923) | 4月 | 浦郷小学校は、浦郷尋常小学校と改称。 |
9月 | 関東大震災で浦郷尋常小学校の神応・清水両校舎全壊。 田浦町の被害は全壊戸数468戸、半壊半焼戸数1,315戸という。 |
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大正 13年 | (1924) | 7月 | 榎戸・正観寺本堂を現在地へ移転新築。 |
大正 15年 | (1926) | 3月 | 追浜飛行場が一応完成。 |
11月 | 「明治憲法起草遺蹟記念碑」の除幕式を挙行。 | ||
昭和 2年 | (1927) | 5月 | 「烏帽子島跡の碑」が建立。 |
昭和 3年 | (1928) | 7月 | 「首斬り観音の碑」が建立。 |
昭和 5年 | (1930) | 4月 | 湘南電鉄株式会社、黄金町~浦賀間営業開始。追浜駅ができる。 |
6月 | 横須賀海軍航空隊に飛行予科練習部を設置。 | ||
11月 | 本浦会館が完成。 | ||
昭和 7年 | (1932) | 4月 | 深浦に海軍航空廠が開設。 |
同 | 追浜郵便局が新設。 | ||
昭和 8年 | (1933 | 4月 | 田浦町、横須賀市に合併。 |
同 | 横須賀市立浦郷尋常小学校となる。 | ||
昭和 11年 | (1936) | 4月 | 浦郷尋常小学校に高等科を付設、浦郷尋常高等小学校と改称。 |
10月 | 浦郷郵便局が開設。この年、自得寺本堂が新築される。 | ||
昭和 12年 | (1937) | 4月 | 浦郷尋常高等小学校に海軍から250馬力艦上戦闘機が寄贈される。 |
5月 | 正光寺本堂が竣工。 | ||
11月 | 「海軍航空発祥之地」の碑が建立。 | ||
昭和 14年 | (1939) | 4月 | 浦郷青年学校を浦郷尋常高等小学校に併置。 |
同 | 海軍航空廠は海軍航空技術廠と改称。 | ||
昭和 16年 | (1941 | 4月 | 追浜国民学校が開設。 |
昭和 17年 | (1942) | 3月 | 本浦郵便局が開設。 |
昭和 20年 | (1945) | 5月 | 横浜興信銀行追浜支店が営業開始。 |
8月 | 連合軍、艦載機で横須賀海軍航空隊追浜飛行場に進駐。 | ||
昭和 21年 | (1946) | 4月 | 市立児童保育園が開設。 |
昭和 22年 | (1947) | 4月 | 横須賀市浦郷国民学校を横須賀市立浦郷小学校に改称。 横須賀市追浜国民学校を横須賀市立追浜小学校に改称。 |
同 | 新制中学校が発足し、浦郷中学校が浦郷小学校内に設置。 | ||
12月 | 浦郷中学校と船越中学校が合併し、田浦中学校となる。 | ||
昭和 23年 | (1948) | 5月 | 横須賀市役所浦郷支所が設置。 |
6月 | 鉞切遺跡の発掘調査が行われる。 | ||
7月 | 田浦消防署追浜出張所が開設。 この年、良心寺本堂が焼失する。 |
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昭和 24年 | (1949) | 11月 | 市営追浜球場が開場。 |
昭和 25年 | (1950) | 1月 | 追浜小学校、火災により496坪を焼失。 |
3月 | 夏島の第1回発掘調査が行われる。 | ||
昭和 26年 | (1951) | 2月 | 明治憲法起草遺跡記念碑除幕式を挙行。 |
4月 | 追浜地区町名町界地番整理を実施。 横須賀市浦郷は、鷹取町、追浜本町、追浜町、 追浜東町、追浜南町、夏島町、浦郷町の新町名に替わる。 |
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昭和 27年 | (1952 | 8月 | 横須賀三浦信用金庫追浜支店が開設。 |
昭和 28年 | (1953) | 7月 | 横須賀信用金庫追浜支店が開設。 |
昭和 30年 | (1955) | 2月 | 法福寺本堂が焼失。 |
6月 | 雷神社社殿が焼失。 | ||
同 | 夏島貝塚の第2回発掘調査が行われる。 | ||
11月 | 浦郷小学校分校が設置。(後の夏島小学校) | ||
昭和 31年 | (1956) | 10月 | 鷹取川、豪雨のため氾濫。 |
昭和 35年 | (1960) | 4月 | 夏島小学校(浦郷小学校分校)、独立して開校。 |
同 | 田浦中学校分校が設置。 | ||
同 | 良心寺本堂が再建。 | ||
昭和 36年 | (1961) | 3月 | 関東自動車株式会社深浦工場の竣工式が行われる。 |
4月 | 追浜中学校(田浦中学校分校)が独立して開校。 | ||
6月 | 雷神社の社殿が再建。 | ||
同 | 鷹取山に磨崖仏「弥勒菩薩坐像」が完成。 | ||
昭和 37年 | (1962) | 3月 | 日産自動車株式会社追浜工場が竣工。 |
7月 | 追浜市営プールが竣工。 | ||
昭和 38年 | (1963) | 4月 | 県立追浜高等学校が開校。 |
7同 | 県立追浜職業訓練校が開校。 この年、追浜ショッピングセンタービルが完成する。 |
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昭和 39年 | (1964) | 10月 | 横須賀市浦郷支所を追浜支所と改称。 |
同 | 東京オリンピックの聖火リレー、追浜駅前を通過。 | ||
昭和 41年 | (1966) | 6月 | 追浜小学校で学校給食による赤痢中毒が出たため、学級閉鎖。 罹患児童数460名。 |
昭和 42年 | (1967) | 6月 | 法福寺、本堂を再建。 |
10月 | 湘南鷹取宅地造成工事に着手。 | ||
昭和 45年 | (1970) | 4月 | 追浜青少年の家が開設。 |
5月 | 自得寺蔵「木造十王坐像」が横須賀市指定文化財となる。 | ||
同 | 能永寺蔵「絹本地蔵・十王図」が横須賀市指定文化財となる。 | ||
同 | 良心寺蔵「朝倉能登守室墓」が横須賀市指定文化財となる。 | ||
昭和 46年 | (1971) | 12月 | 住友重機械工業追浜造船所が操業開始。 |
昭和 47年 | (1972) | 1月 | 「夏島貝塚」が国指定史跡となる。 |
11月 | 京浜急行・追浜駅の橋上駅舎完成。 | ||
昭和 48年 | (1973) | 4月 | 追浜支所を追浜行政センターと改称。 |
12月 | 海洋科学技術センター開所式を挙行。 | ||
昭和 50年 | (1975 | 4月 | 鷹取小学校が開校。 |
同 | 明治憲法起草遺跡記念碑を現在地に移転。 | ||
昭和 55年 | (1980) | 4月 | 鷹取中学校が開校。 |
7月 | 第1回市民納涼のつどいが追浜硬式野球場で行われる。 | ||
昭和 56年 | (1981 | 5月 | 第一勧業銀行追浜支店が開業。 |
6月 | 「予科練誕生之地」の碑が、貝山緑地に建立。 | ||
昭和 57年 | (1982) | 7月 | 「烏帽子島の碑」が、現在位置に移設。 |
昭和 58年 | (1983) | 4月 | 貝山緑地が使用開始される。 |
8月 | 夏島町で古墳時代の牛頭骨を使った祭祀遺跡が発掘される。 | ||
昭和 59年 | (1984) | 7月 | 追浜下水処理場の通水式が行われる。 |
11月 | 追浜駅前歩道橋が開通。 | ||
昭和 60年 | (1985) | 1月 | 追浜文化センターが使用を開始。 |
4月 | 北部図書館が使用を開始。 | ||
10月 | サンビーチ追浜店が開店。 |